2016年5月13日金曜日

池田筑後守勝正の法名は「前筑州太守久岩宗勝大禅定門」か

研究特集「摂津国豊嶋郡細河郷と戦国時代の池田」としてご紹介している一連の記事ですが、今は「細河庄内の東山村と武将山脇氏について」を調べています。ただ今、鋭意作成中ですので、近日の公開にご期待下さい。

色々な資料を読んでいますが、池田郷土史学会が発行している会報『池田郷土史研究』は、やはり必読ですね。凄い内容だと思いますし、よくこれだけの事ができてきたものだとも感服します。もちろん、時代時代で立派な方々は居られますが、戦前・戦後を生き、熱心に郷土の歴史の保護に努められた林田良平氏などの功績は誠に大きなものだと思います。日本全国の視野で見ても、これだけの郷土研究を深めてきたことは、珍しい取り組みの部類に入るのではないかと思います。

さて、その『池田郷土史研究』の第8号に収録の
 例会:第281回(昭和55・5・11)
発表者:林田 良平(理事)・富田 好久(理事) 
テーマ:城主池田氏と池田城(蝸牛驢文庫所蔵:池田郷土先賢資料書目(其28))

に、「大広寺由緒 第16世雲峰記 元禄6年(1693)4月」の筆写(昭和11年7月18日 林田良平写)が収められています。そこに、池田勝正についての気になる記述があります。
※池田郷土史研究(第8号)P30

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城主池田氏に関する記事左に抄録す。(中略)。
「当寺開基家之法名俗名」
一、前筑州太守大広寺殿玉堂金公大禅定門 俗名池田筑後守藤充正、池田之城主也。此城地と申し伝所今于に池田村に之有り。文明14年(1482)10月24日卒。
一、前筑州太守玉窓珍公大禅定門 此の筑後守者名乗並びに亡日之記さず。
一、前筑州太守久岩宗勝大禅定門 俗名池田筑後守勝正、初め之名伝八郎三郎、同池田城主也。亡日者4日也。年月者之記さず。
(後略)。
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また、参考までに、池田一族と思われる人物の墓石が紹介されいている資料があります。ただ、この人物の名前は不明のようです。「摂北古金石新資料 藤沢一夫稿 考古学雑誌所載(昭和9年11月号)」です。
※池田郷土史研究(第8号)P38

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(前略)。
大広寺附属墓地に室町以降各時代に亘る多数の石塔がある。虱潰的に調査の結果、古銘あるもの十数基を発見した。木崎氏著「摂河泉金石文」には、梵鐘及び池田家の2塔に就き記されて居るに過ぎない。是れ従り個々列記の中に、花崗岩の重合五輪、地輪の端物、高8寸5分、幅1尺1寸、4面に梵字。
・笑岩正忻禅定門 永正5年戊辰5月10日 (昭和8年10月24日調)
※池田市史 史料編(昭和42年発行)では、笑山霊忻禅定門としている。
(後略)。
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塩増山 大広寺の山門
池田勝正の事が記載されているようです。池田勝正は、どこでどのように死亡したのか、判っていません。また、池田勝正の墓と伝わる墓塔が、三田市小柿・田中地区にあり、ここには勝正に従っていた武士の家系の家もあるようです。

しかし、その場所だけでは無く、摂津池田家の菩提寺でもある大広寺が、池田勝正の死亡について把握していた事がわかる記録がありました。勝正の墓があるという事なのかどうか、この記述からは判断出来ませせんが、これまで公式には、勝正の墓の存在が確認されていません。
 大広寺は荒木村重が摂津国を支配した時代に、伊丹の有岡城建設と供に移転し、その後元に戻っているようですから、その時に紛失などしたのかもしれません。ただ、これを記した「元禄6年(1693)4月」は、慶長年間(1596-1615)に池田知正が池田へ大広寺を旧地に復した後、本格的に復興する頃で、確認のためにこういった覚え書きを残した可能性もありますね。ちなみに元禄7年、本堂など主要な施設が再建されているようです。
 また、『摂北古金石新資料』に紹介された、「笑岩正忻禅定門」なる人物は、勝正の法名「前筑州太守久岩宗勝大禅定門」と「岩」が共通して入れられていて、もしかすると同じ系譜の一族であるのかもしれません。

さて、何れにしても大広寺の代表である「第16世雲峰」が、元禄6年(1693)4月の時点で、勝正の墓石の存在について認識しているのですから、それはそれで意義のある事だと思います。
 今回のこの要素を知った事で、勝正の謎解明が、飛躍的に進んだ訳では無いのですが、その全体を把握するための要素がいくつか増えました。
  • 勝正は4日に亡くなったらしい。年月は不明。
  • 法名は「前筑州太守久岩宗勝大禅定門」である。
  • 元禄6年(1693)4月の時点で、大広寺が勝正の死について把握していた。この頃それらの確認を行い、墓石も探そうとしていたのか。
今後とも続けて、調べを進めていきたいと思います。道のりは遠いですが...。


◎参考ページ:池田氏関係の図録(伝池田勝正墓塔)



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