2016年2月3日水曜日

中世の摂津国大坂周辺の地形について(はじめに)

中世の摂津国大坂周辺は、江戸時代の宝栄元年(1704)の大和川付け替えで、現在のような流路になるまでは少し風景は違っていました。当然、その付け替え以前は、交通を始め、様々な要素が、その後とは違います。摂津池田衆の家運が最盛期だった室町時代末期頃も、その事を踏まえて見ていく必要があります。
 この大和川付け替えについては、大東市立民俗資料館で判りやすく学ぶことができます。また、淀川の治水の歴史については、枚方市にある淀川資料館で詳しく見ることができます。現在の災害の無い、豊かな生活を送ることができるのは、壮絶とも言える先人の努力のおかげである事がよくわかります。
 淀川資料館では、近現代に功労のあった、外国人技師のエッセル、デ・レイケ、沖野忠雄技師、大橋房太郎大阪府議の志には、本当に感動します。特に大橋府議は、献身的な努力を生涯に渡り続けられ、水害で苦しむ人々を減らすべく、尽力されました。何しろ、私の生まれ育った「放出(はなてん)」出身の偉人です。出身が庄屋の身分であったにも関わらず、亡くなる時には借家住まいとなって、私財も全て注ぎ込んで、大阪府民のために働かれた方です。葬儀は府葬で、その見送りには多くの人が感謝を捧げたとの事です。
 感情移入してしまいました。淀川資料館も機会があれは、是非、見学してみて下さい。淀川は身近なのに、知らない事ばかりでした。学校で教える事も無いと思いますので、是非お子さんを連れて、見学をされて、淀川縁でお弁当でも食べて、のんびり楽しんでみてはいかがでしょうか。
 
以下の図は、大東市立歴史民俗資料館が発行する常設展示案内パンフレットに紹介されている中世の流域復元図です。


大和川付け替え前の川の流路

 
さて、以下に散文的に昔の大坂周辺の川や池についてのコラムを増やしていきたいと思います。どうぞお楽しみに。

東大阪に残る昔の川(新開池・深野池)の跡
戦国時代に河内国河内郡へ移住した信州の人々(大和川付け替え前の地形を探る)
・大東市に残る昔の川の跡



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