2015年3月15日日曜日

池田教正が関係していた可能性のある永禄10年2月の池田家内訌(はじめに)

池田丹後守教正は、「正」を持つその諱(いみな)、活動地域からして、摂津池田家出身の武将であろうとする説が有力なのですが、今のところ史料上の決め手が無く、結論が出ないまま、半ば放置状態です。
 私も個人的には、それらの説を概ね受け入れてはいますが、断定できる史料を見つけるに至っていません。1528年(大永8・享禄元)から1579年(天正7)までについて、私がこれまで見てきた中で池田教正に関する素材を集め、一旦整理をし、研究発展の今後に期待しつつ、多くのご意見を受けたいと思います。

(1)永禄10年2月の池田家内訌を見る
(2)三好義継・松永久秀の重臣だった池田教正
(3)キリシタンとしての池田教正
(4)茶の湯の記録に登場する池田教正
(5)荒木村重と池田教正
(6)河内国若江三人衆と池田教正



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